澄みきった空の下、すがすがしい気持ちで街を歩いていたとき、妻が歩いてきたのにも気づかずにすれ違ってしまった、という句。「妻」という身近な存在まで忘れさせてしまうほどの秋爽が作者を幸福に包んでいたのであろう。西垣脩は大正8 […]
この「憂き人」は夫であろう。憂鬱な顔をしている夫を散歩に誘うが、言葉少ないまますぐベンチに腰かけて考え事を始めた。その肩に木の実がぽたりと落ちて跳ねた。木の実のたてた小さな音が明るい兆しのように感じる。(山内あかり) 出 […]
「淋しさ」にはプラスのさびしさとマイナスのさびしさがある。殊に俳諧ではプラスのさびしさが賞翫される。「秋の暮」と付けるからには敏雄もプラスのさびしさを誉め讃えているのである。(村松二本) 出典:『疊の上』
わが国に仏教が伝来したのは、538年、欽明天皇の御代。金色の釈迦仏を携えた百済・聖明王の使者は、難波津の海から大和川を船で遡り、飛鳥の都に辿りつく。わが国の仏教は、飛鳥からはじまる。秋を象徴する菊の花もまた、仏教に遅れて […]
そもそも言葉はいちど必ず身体を通過して成り立つものだから、すぐれた俳句は理屈ぬきで、身体を通して読者に直接感動をあたえる。澄雄のこの句は、「ゐて」と「さう思ふ」の表現によって単なる日常のひとこまという以上に、二人が今ここ […]