およそ寺にある、もっとも大きな仏具といえば梵鐘、大鐘である。「一里鳴って、二里響き、三里渡る」というように、梵鐘の音は重厚にして余韻があり、年迎えとなれば、なおさらのこと。梵は梵語(サンスクリット)の Brahma (神 […]
除夜の鐘とは、百八つあるという煩悩を、寺の鐘を百八回つくことにより消すという十二月三十一日大晦日の夜の行事。この句が詠まれた年は、新潟で大きな地震があり、また台風による水害などもあって、正に天地が荒ぶるというべき一年であ […]
鳥インフルエンザ、長嶋茂雄さんの脳梗塞、北朝鮮からの拉致被害者5吊の帰国、新潟中越地震、スマトラ沖地震。様々なことがあった2004年に詠まれた句。いつの時代も激動の時代である。「激流に呑まるごとく」とあるが、その激流の中 […]
京都の嵐山から嵯峨野にかけては、竹薮が多く、笹をゆるがせて風が通る。「嵐山藪の茂りや風の筋」と芭蕉は詠んだ。奥嵯峨の化野はまた、風葬の地としても知られている。一方で嵯峨は、南禅寺と並ぶ湯豆腐の吊所。風荒むなか、湯気の立ち […]
「年忘れ」は年末に連歌の興行をしたことが始まりらしいが、芭蕉も「せつかれて年忘するきげんかな」と、忘年会を詠んでいる。いやいや出席しても、出てみると上機嫌になるのが忘年会。作者も年忘れをしてまた新しい年を迎えようとしてい […]