ときには、舟や牛馬の背などに乗ろうとも俳人は、あくまでも二足ロコモーションで果てしなき陸をゆくばかりの人種であろう。一読、単なる凡庸な句のようではあるが、ゆたかな眼射しは隠れようもない。「存在の寂しさ」こそポエジーの源泉と繰り返し唱えたのは西脇順三郎だったかと思うが、凡兆のこの風景詠に宿る寂しさ、この句の質感はとても丈高く思われてならない。(坂内文應)
出典:『猿蓑』
ときには、舟や牛馬の背などに乗ろうとも俳人は、あくまでも二足ロコモーションで果てしなき陸をゆくばかりの人種であろう。一読、単なる凡庸な句のようではあるが、ゆたかな眼射しは隠れようもない。「存在の寂しさ」こそポエジーの源泉と繰り返し唱えたのは西脇順三郎だったかと思うが、凡兆のこの風景詠に宿る寂しさ、この句の質感はとても丈高く思われてならない。(坂内文應)
出典:『猿蓑』