もの淋しい秋の夕暮れ。行く人もいないひとすじの道が、かなたへと続いている。俳諧の道も同じように暮れやすく孤独なものだなぁ、という句。芭蕉の当時の胸の内がわかる。高みをめざして行けば行くほど人は孤独を感じるもの。俳諧に生涯をかけた芭蕉の孤独はどれほどだったか、この句から少し、それを感じとることができる。(岡崎陽市)
出典:『其便』
もの淋しい秋の夕暮れ。行く人もいないひとすじの道が、かなたへと続いている。俳諧の道も同じように暮れやすく孤独なものだなぁ、という句。芭蕉の当時の胸の内がわかる。高みをめざして行けば行くほど人は孤独を感じるもの。俳諧に生涯をかけた芭蕉の孤独はどれほどだったか、この句から少し、それを感じとることができる。(岡崎陽市)
出典:『其便』
この俳句をみると、山頭火の
真っ直ぐな道でさびしい。が
思い出される。
秋の風、行きて戻れぬ、地蔵
道。
秋の暮は暮秋=秋の終わりという意味で用いられます。また、辞世の句とも呼ばれますから、「この道」は人生というか、アマテラスの鏡というか、純粋体験というか、芭蕉の心という可能性もありそうです。となると、「この道、行く人なしに(なる」とは自分自身の死です。そこで、秋の暮れは、人選の暮とも、例えば病床から見ている秋の空や紅葉の風景を言っているという可能性があります。古池や。。。において、水の音だけ聞いた芭蕉が、「古池」も「蛙」も実際に見ていないように、この句においても、芭蕉は「ひとすじの道」を見てはいないような気がします。