古志投句欄を読む 2020年2月号

 風景とは一体なんだろうか。
 前の担当回(十二月分)の反省として、作者の中にあらかじめ心情が用意されていることを前提に、風景を作者の外にあるものとして、心情を表現するため、風景を利用しているのだ、という書き方になってしまった。
 しかし、「風景」ははじめから外在するのではなく、一人の作者によって見出されることではじめて、存在するのだろう。そして心情もまた「風景」を見出すことで、作者の内に創出されるもののはずだ。それは自他の未分化な赤ん坊にとって、他を知ることが即ち、自を知ることでもあるように。

 部屋ぢゆうが赤子の匂ひ冬隣  辻奈央子

 赤子がたとえ匂いを知覚したとしても、匂いがどこから漂っているかは問題にならない。しかし、当然ながら作者は自他が分化されているために、これまでとは変わった部屋の匂いを嗅ぎとり、匂いは赤子のものであって、自らは部屋の中にいることを理解する。このとき、いつもの見慣れている部屋は「風景」として句の対象となり、作者の内に驚きや感動という心情が出現するのだ。ここでは冬隣という季語が、作者の感じた驚きを読み手に伝える役割を果たしている。肌寒くなり、日射しが弱くなっていく、閉めきった部屋の中に充満する赤子の匂いは、優しくあたたかい。でも、これからの子育ての厳しさにどこか不安を覚えてしまう。一つの形容詞では言い表せない心の襞が伺える。

 一灯にわれら二人の炬燵かな  加田怜

 一つの灯の下の炬燵で温まる二人、これまた幾度となく繰り返されてきた冬の営みだろう。ところが、なにかの拍子で作者が日常にふと立ち止まってみると、たちまち「風景」として句の対象になる。これまでの生活を、当たり前のものとして捉えることが出来なくなった事情が作者にあったのだろうか。二人の日々の充足をあらためてかみしめている句とも読めるが、数字からか寂寞とした心情も感じられ、この句に奥行きを与える。そうした余白は気持ち良い。

 首里城を悼み空ゆく鯨かな  三玉一郎

 首里城が焼失した事件の後のため、題材に扱った句が多く見られたが、首里城は燃えることで句の対象となった。しかしそのとき、ただ奇異な事件として句にするならば、それは事件を消費しているだけであって、作者自らが見出した「風景」とは違うだろうし、もちろんそこに心情が宿ることはないと言える。掲句は事件をもとにして、現実よりもはるかな時空との接続が成されているため、焼失さえも世界の循環の一つとでも言うような懐の広さを感じる。

 大雪の話しみじみ越の人  石川潔

 積雪地帯の人にとって雪と言えば、どかと積もるものであって、夜のあいだに降って朝には溶けてしまうような、東京で見る雪は、雪ではないと笑うかもしれない。句中の越の人にとって、いつもと違う東京の雪は、話すに足りる「風景」として把握され、地元の雪と比較する。大雪と捉えているのは作者であり、越の人からしてみれば、大雪であることをとりわけ意識して話しているわけでなく、ただ自分の地元ではこんな雪が降るというだけの話。それが作者にとっては、話の中の雪こそが知っている雪とは違う「風景」になっているのだ。この「風景」の立ち上がり方は、実際に雪が現前しているわけではないため、巧みで面白い。

3 

 地域の差は普段と異なる「風景」を容易に生み出せる。そのため紀行文は、絶え間ない「風景」の生産でもあったわけだが、紀行文の書き手が訪れる場所は果たしていつまでも「風景」たり得るのだろうか。例えば歌枕は、確かに実在性をもった場所であるものの、実在の場所として和歌に詠まれるというより、これまで詠まれてきた歌によって育て上げられてきた「概念」としての場所であり、歌枕を詠むときはそうした「概念」に接続することが重要になる。

 金沢や氷の橋を街の上  渡辺竜樹

 掲句に詠まれる金沢は「風景」というよりも、金沢という「概念」として歌枕的に詠み込まれている。氷の橋が街の上に架かっているという、極度に単純化された構図だけで句が成り立つのも、金沢という「概念」に支えられているからであり、作者が見ているのは「風景」ではなく、これまでの文学が作り上げてきた言葉なのだ。首里城の話に戻すなら、「概念」としての首里城にアクセスすることで、焼失という事件をただ詠むのとは違った句になるのかもしれない。

 こうした「概念」を下敷きに詠むのが前近代であり、そこから近代になるにあたって「風景」が見出されて、詠む=写生する態度が生まれてくる、と見立てることは可能であろうし、これまで論じられ、自分自身も参考にしている。しかし、現在の俳句の話として思うのは「概念」――これまでの俳句の伝統が積み上げてきた、俳句らしさという「概念」を下敷きにして、句を仕立てる方向が一般的になっていることだ。

 白磁壺湖に写れる月と山  山本桃潤

 一見して上手い句だなと分かる。湖に月と山が写っている風流で豪快な景観を単純な言葉で言いとめ、取り合わせとしても、白磁壺が湖の質感や温度を感じさせる。しかし作者によって見出された「風景」とはどこか違う。その理由を考えると、やはりこの句は、言葉によって作られた空間の句であるからなのだと思う。
 そして問題にしたいのは句中の〈私〉はそのときどこにいるのかということだ。

 木犀の匂ひがしたる鴉かな  石塚直子

 掲句は石塚さんの他の句と比べたとき、明らかに〈私〉がいない。それは作者=私の一人称的な〈私〉であり、石田波郷が「俳句は私小説である」と言ったときの〈私〉である。
 俳句らしさという「概念」から言葉を拾ってくることは、首尾良く組み合わせることで、それらしい一句を成立させてしまう。このとき〈私〉とはなにか、記号に還元されない〈私〉があるのではないかという問いは、無意味なものとして排除される。その一方で「風景」を見出して詠むことは、前述した通り心情を創出することでもあった。つまり作者=〈私〉が立ち上がる。

 のつしのし竹馬の僕巨人たり  西川東久

 ではそうした句に〈私〉が必ずいないかと言うと、そうではないと思う。確かに作者=私は存在しないが、句の中で仮構された語り手としての〈私〉は存在するのではないか。掲句の中の僕は等身大の作者というよりも幼い僕として仮構された存在だ。自らを巨人たりとする自意識は、句中の僕のものである。しかし、大人たりではなく巨人とするところに、僕だけではなく書き手の意識がのぞいているような気もするのだが、いかがだろうか。

 否定的な書きぶりになってしまったが、擬古典派という呼称があるように、これまでの俳句を古典として参照し、句を作る方法は、その擬態の精度の高さによって評価されるべきである。そのため、一句としての良さは当然の事ながらある。また、先行句を素材として構成することで、構成する〈私〉が存立することも見逃せない。ただ、こうした句は、俳句を分かる人にしか分からない文芸、つまり俳句らしさという「概念」を共有している人にしか分からない文芸として、温存し内に閉じこもっていく方向を決定づけてしまう気もする。
 ここに記したことは、すでにより深い議論がされている問題なのかも知れない。しかし、とりとめもなく考えていたことを一つ一つ確かめながら、自分の言葉でまとめたかったので、この場を借りさせていただいた。まだ自分の中に、季語は「風景」であるのか「概念」であるのか、実在性とはどのようなものか、という疑問が整理されず残っているが、別の機会に考えていきたい。
 川端康成の『末期の眼』の中にこんな言葉がある。

 修行僧の「氷のやうに透み渡つた」世界には、線香の燃える音が家の焼けるやうに聞え、その灰の落ちる音が落雷のやうに聞えたところで、それはまことであらう。あらゆる芸術の極意は、この「末期の眼」であらう。

 この眼こそがあらたなる「風景」を生んでいくと信じている。が、生み出した風景もすぐに「概念」になってしまうのではないか。最後にふれられなかったけれど好きだった句を幾つか上げたい。

 蟻が蟻呼んで竜胆花の中  仲田寛子
 庭落葉一握り置き虫の分  三浦順
 恋深き女と言はれ夜食かな 前田茉莉子
 烏瓜さつき鵯ゐたところ  春日美智子
 あれ程の虫の声なし草に雨 笹沼實

平野皓大(ひらのこうた)
1998年生まれ。神奈川育ち。2019年5月、古志入会。第十一回石田波郷新人賞準賞。

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