古志投句欄を読む 2021年7月

 春闌くや空のみありて城の跡 佐藤光枝
 
 あったものが今は「ない」ことに着目するのではなく、かつて権勢を誇った城はなくなろうとも空は変わらず「ある」ことに着目する。目線が上を向くことの明るさがあり、それは言い換えると心の風通しの良さである。掲句の空は晴れているだろう。城の跡に吹きつのる風は淋しさを感じさせる秋の風ではないだろう。生命の予感をはらんだ春の風でなくてはならないだろう。上五はうごかない。跡地は寂しいものだと思っていた。しかしその場にあったものがなくなってもなおも思い起こされ、人々が訪れるのを思えば、余り悲しむべきものではないのかもしれない。
 
 東京もいつか遺跡よ春灯し 神谷宣行

 掲句もまた跡に注目した句。しかしその時間は未来を見ていて、光りに満たされている都市もいつかはまっくら闇に包まれてしまう。華やかな春の灯しのもとでそんなことを考える。もしかすると、そう思えることは一つの救いかもしれない。オリンピック開会式の森山未來のダンスを見ながら、東京は「すでに」遺跡になってしまっていたのかとしばらく呆然とした。あのダンスがあそこまで力を持つのは、東京という場がすでに死に至ったからではないか、と感じた。しかし、「いつか」遺跡なら、東京はまだ生きている。延命することがまだ可能である、そう思い、これから先を生きていける。

 花筏帯の如くにまつすぐに 間静春
 
 掲句は一つの美意識の提出である。もちろん、花筏やまっすぐな帯が美しいものであるとは書いていない。しかし、帯の如くに、というとき、そこには帯はまっすぐでなくてはならないという、凜とした視線がある。その視線のあり方が美しいのである。こうした視線によって貫かれた生活はきっとたゆみのない、背筋の通ったものになるだろう。花筏をただ美しい、綺麗だ、と言うだけではなく、目の前にある花筏をなぜ私は美しいと思うのか、まで掘り下げて考えている。美に対する確固たる視線を感じる。

 柿接ぐや雨に後れて雨の音 丸山分水
 
 柿を接ぐという作業が単なる生活を詠んだものに留まらず、大きな自然に接続されている。雨滴が先にからだを打ち、それから音とともに勢いが増す。ちょっとした時間の流れが繊細な感覚で書き留められる。弱火から中火に回されるような雨の勢いは、柿を接ぐということで生命の連続を思わせる。木の断面がぴったり合わさるのがすこしエロティックであり、生命感もある。それは雨がもたらすムードによって、匂いが立ってくるからかもしれない。

 淡く削ぐ花烏賊や花びらのごと 三浦順

 花烏賊から花びらのような皮が削がれる。それは言葉遊びのようでありながら、景としての説得力を持っている。それは「淡く」の一語が効果的に働いているからだろう。薄く削いだのでは単なる言葉遊びに終ってしまう。古典の、はらはらと舞うような淡い美の中に置かれることによって成り立つ句である。危ういところを一語で成り立たせている。

 
 鳥といふ鳥が現はれ雪解かな 前田茉莉子

 鳥といふ鳥という表現は難しい、幾通りもの解釈が出来そうだ。オーソドックスに鑑賞するとしたら、その町村なり、山なりに棲んでいる鳥が、雪が溶けてすべて現れたということなのだろう。しかし、こうも取れる。ある日「鳥」という、そのほかの巷にあふれている鳥とは違う、唯一無二の、本物の、THE「鳥」が現れた、という意味だ。いま生きている鳥はどれも全てが贋物で、鳥という種を束ねるような「鳥」がいる。贋物の鳥が飛び交っている現在は雪に閉ざされているみたいなものであり、いつか「鳥」が現れたとき世界は雪解する。これは多少大げさな鑑賞だろうが、思ったより懐の深い句に違いない。

 春の蝿ひと疑はぬ大きな眼     真板道夫
 伐採の木々の木霊や雪解村     潮伸子
 出刃の背で一撫でしたり初鰹    松下弘
 ざりがにの小さきは透けて蝌蚪の水 仲田寛子
 初音きくゐざり車の子規の声    川口勇

 といった句も気になった。春の生命感がどの句からもうかがえる。

 月をまたいでからの鑑賞となってしまい申し訳ありません。
今後ともよろしくお願い致します。

平野皓大(ひらのこうた)
1998年生まれ。神奈川育ち。2019年5月、古志入会。第十一回石田波郷新人賞準賞。短詩ブログ「帚」 http://houkipoetry.com/

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