古志投句欄を読む 2021年5月

 
亡き人の声を拾ひに冬干潟 渡辺竜樹

生きている人の声には応答できる。互いに質感を持って感情や情報のやり取りを続けている。しかし、故人になるとこちらの呼びかけに応えてくれない。生きていた頃の質感は徐々に喪われていき、思い出も薄れてしまう。記憶として心の内に残っている声に力一杯手を伸ばして指先に触れようとしたところで、声は忽ち消え失せる。曖昧なものだ。だから到底、拾えるものではない。それでも、故人の声が記憶から消えてしまう前に拾いに行こうとする。冬干潟は蕭条として光の一粒一粒が眼に映り込みそうなほど澄んでいる。たとえ泥地でも顔を上げれば遠くに水平線が見える。しかし目線が前を向くことはない。眼を凝らし続けなくては見つけ出せない亡き人の声。悲しいほど広々とした冬干潟に果たして声はあるのだろうか。亡き人の声を拾うために泥を見続ける。その行為こそが再生に繋がるのであって、声の有無はもしかすると取るに足らないことなのかもしれない。

雪だよと誰にともなく言ひにけり 鈴木康子

雪、と声が出る時、眼前に広がる雪景色ともう一つ、記憶の世界が立ちのぼる。身体は二つの世界に置かれ、掲句は記憶の世界に大きく足を踏み入れている。雪を見て心の内にある雪景色を思い出す。雪だよ、は自分ではない誰か、心の内にいる誰かに呼びかける言葉だが、その誰かがハッキリとは自分にも分かっていない。特定の人を思い出しているようでありながら、もっと漠然とした心象に言葉を送っている。言葉は一人の身体の内側で現在の雪を溶かして、過去への入り口を開いた。声には温度がある。一人でいながらぽつりと声がこぼれる。あたりはホッと温かくなり、その後で骨に染みる冷たい風が吹く。

二三人隠れてゐたる炬燵かな 田村史生

炬燵の中に足を突っ込んで二三人に触れる。隠れていたものを暴く時、多くは眼に頼りがちになるが、掲句は触感によって暗闇から人を暴いている。テレビ等で手をブラックボックスに入れて何が入っているか当てる番組がある。視聴者だけに見える箱の中身はタランチュラとかタコとか得体のしれない生物がお決まりで、出演者らは恐る恐る箱の中を探る。掲句はそれとまったくの逆である。足を突っ込んだら思いがけなく人に触れた。家族と知っているため恐れることなく、人と人の肌の触れあいがそのまま炬燵に入った家族の心理的な距離の近さに通じる。恐れとは違う、穏やかな団欒の気分が一句に満ちている。

手も足も届くところに山眠る 小林道子

掲句もまた、心的な近さが身体的に表現されている。眠る山は安心感を与える。堂々としてもの静かに、その土地の人々を支える。山のふもとで生は営まれ、次の世代へ生は送られ続ける。こうしたひとりの人に拘らない生活のサイクルを山は見守り、敬意を払って人々は山を仰ぐ。掲句は家族や友人と接する親しさで山を捉えた。土地に根ざした生活の充足感が漂い、いまは懐かしいものとなった大らかな時間が掲句に流れている。

手袋と言へば軍手のほかはなく 園田靖彦

軍手と過ごした年月の肯定が、掲句を品の良いものにしている。自虐は時として痛ましい印象を鑑賞者に与えるが、掲句の場合は大人の含羞に変わっている。自身を苛烈な口ぶりで否定する事はなく、これまでの生活に誇りを持って遠回しに讃える。この時、手に取った軍手は恥じるべきものとして眼に映らない。農作業、草刈りなど地道な日々を一緒に送って来た存在として信頼を寄せている。清々しい生活の充足が、掲句にも漂っている。

雪女吐く息のほのぬくきこと 辻奈央子

人間とおなじ息を持った存在として雪女を描く。決して疎外することのない温かい目線はこれまで鑑賞してきた句の目線の温度とも通じる。自然を凌駕の対象ではなくて共に生きるものとして見つめた時、おのずと生まれる温度なのかもしれない。ただ、他の句と違う点を一つ指摘すれば、掲句はあくまで現代的な句である。雪女は雪国の自然に対する畏怖から生まれた存在でもある。雪女に人間的な肉を与える掲句の解釈はこうした畏怖が失われた後の、再び現代に自然を呼びこもうとする眼によるものだろう。過去とは立っている地点がどうしようもなく違っている。他者を疎外せず受け入れることの重要さはもちろんのこととして、自然との距離間といった現代的な問題を掲句ははらんでいる。

吐息さへ取り込みゐたる氷かな 野村桂久

掲句は辻さんの句と近いところを詠んでいるが、描かれた氷は人間的な肉を持ち、なおかつ人間を取り込んでしまった大きな存在でもある。これはどちらかと言えば畏怖すべき自然の姿であって、人間の中でも動物的な吐息を取り込んだ氷は生々しい。氷は透きとおり何も混じり気がないようでありながら、寄り添う目線を持てば様々な色がうつりこむのだろう。野村さんの句も自然に近いところで詠まれている。

父母の古里遠く蒸鰈 池野正子
むささびや二月堂への闇深く 上田悦子
大寒の湖国ぬらして鳶高む 齋藤遼風

古風な艶を感じるのは、過去の俳人たちの句が脈々と流れているためだろう。重層的かつ静かな句たちである。

傘ほどに開きて逃げし冬の蛸 眞田順子
寒泳の血流滾りゐたるかな 佐竹佐介
赤べこや盃たかく屠蘇祝ふ 廣野稻
雪卸す大きな豆腐切るやうに 渡辺幸子
 
 こちらは現在や自身の生活に密着した句。眼の面白さが一句を支えている。
 
 
 どれも面白く読ませていただきました。遅くなり申し訳ありません。

平野皓大(ひらのこうた)
1998年生まれ。神奈川育ち。2019年5月、古志入会。第十一回石田波郷新人賞準賞。短詩ブログ「帚」 http://houkipoetry.com/

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