古志投句欄を読む 2021年3月

 冬の日に鼻先あづけ牛眠る 長井はるみ

 安心感を与えるものとして景色がデフォルメされている。景色をデフォルメすることによって一つの世界を作り出す句もあれば、眼前の景色をその場で即座にまとめあげ、瞬間のごつごつとした感触を楽しむ句もある。どちらがよりリアルかは難しいところだ。掲句についていえば、冬の日ざしに眠る牛はのどかにちがいなく、さらに「あづけて」と巧みな動詞が配置されることで、温みのなかで安心しきったように眠る牛の姿が見えてくる。その景色は「冬の日」という語の印象を上手く使っているため、リアルらしく見える。しかしあくまでそれは語の世界であり、本当にリアルな冬の日はまた違ったものだろう。掲句は歳時記に載っている言葉としての「冬の日」の質感をよく伝える。一方で即妙に詠まれた句は「冬の日」ではない、現実にある冬の日の質感を伝える。ここに俳句の面白さがあると思う。
 
 頬紅く構へる銃や初狩猟 久嶋良子
 
 前の句が言葉によって景色がデフォルメされていたのに対し、掲句は言葉で景色を作り上げている。つまり前の句は牛が眠っているという景色が先にあって、それを言葉によって調理した。しかし掲句は言葉が先にあり、その言葉が景色を作り上げる。小説的な想像力を用いて作られた句と言ってもいいだろう。頬が紅いという描写は寒さを伝える小説的なものであり、なおかつ上気した心も伝える。初狩猟の気分を伝えるのに頬紅くという描写は小説的なリアルさを持っている。一種の典型化された表現を用いて句を作る。それもまたリアルらしく見せる手段だろう。

 一本の径を残して山眠る
 ぐつすりと山は眠りて径消ゆる 有馬一水

 眠りが深まっていくと径が消える。径は生命の気配、音や匂いと無関係でいることが出来ない。何者かの歩いたあとが径となり、山の中にはそうした径が一本走っていたという。それは山と共存するものの径であり、一本と限定して書かれることで、閑寂化していく山の様子がありありと見えてくる。山の眠りは深まり、音も匂いも消え、生命の律動も消える。あとに存在するのは山そのものであり、まっ暗やみのなかで山の存在感だけが露出する。視点として一句目はまだ人のものであるが、二句目は超越した視点のように思う。人の気配が消え失せ、自然の営みだけが存在する。並べられることで深まっていく世界がある。

 その人のをれば水鳥集まりぬ 吉冨緑

 手塚治虫『ブッダ』におけるシッダルタの誕生は、森の動物が集まってくることで神聖さが強調される。人間の意のかなわないものを引きつける不思議な力は、その人を魅力的に見せるのだ。日常生活においても雨男、晴女のように、偶然性のある天気とまったく関係ないはずの人間を結びつけている。きっと居るだけで水鳥が集まってくる人もまた魅力的だろう。実景としては偶然水鳥が集まっただけなのだが、こうして因果関係で言い止められることにより面白みが増した。その人と自分との心の距離が、その人を眺めるまなざしに表れている。親しみをもった、優しげな目線のように思う。

 文来たる故郷の春溢れさせ 小川もも

 コロナ禍で人の行き来は難しくなったとしても、手紙を送ることは出来る。もちろん現代はメール社会のため、手紙のもっていた距離的な心情の隔たりはなくなって久しい。そして先日ある韓国の小説を読んでいて気付かされたのだが、時間的な心情の隔たりもメールはなくすのだ。指一本で送受信できるため、送るまでの葛藤が少なくなる。すると、とても送れた代物ではない深夜に書いたメールも送ってしまう。そもそも手紙なら深夜にポストに行くのは面倒くさいため、朝読み直すことでそうしたリスクも減るのだが。そして、深夜のうちに相手から返事がかえってきたりする。時間も心も圧縮される。だが手紙は距離と時間をもってやり取りされる。故郷から出て行った人からの手紙が届く、投函された時と、届く時の時間的なズレが春を溢れさせ、距離と時間の隔たりが心のうちを華やかにするのだ。コロナ禍においては一層そうだろう。
 
 青森の青空想ひりんご煮る 滝澤勢子

 鍋に溶けている林檎から、その生産地である青森、そして林檎を育てた明るい青空を想像したのかもしれない。しかし想像は「青」の一語から広がっているようにも読める。言葉の連想ゲームみたいに青森、青空と想像の範囲が拡大していく。表語文字だからこそ出来る表現であり、異質なものが漢字ひとつを基点にして結びつく。紙面の上では漢字の繋がりとして鑑賞されるが、想像する頭の世界では「あお」という音の繋がりかもしれない。日本語は面白い。空想に没する頭には理屈の抜けた異質なものが去来する。林檎のように思考も煮詰まっていく。

 にはとりのきれいに交む小六月 秋元大吉郎
 皺ひとつなき身哀しや雪女   三角逸郎
 日曜をだめにしてゆく毛布かな 高角みつ子
 散髪の頭押し込む冬帽子    西川東久
 塩壺の底が見えそめ山眠る   斉藤真知子
 俎板と布巾干さばや小春風   加藤久子

 なども面白く読ませていただきました。毎度遅くなり申し訳ありません。

平野皓大(ひらのこうた)
1998年生まれ。神奈川育ち。2019年5月、古志入会。第十一回石田波郷新人賞準賞。短詩ブログ「帚」 http://houkipoetry.com/

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