古志投句欄を読む 2020年3月号

 愛の人悴む人の輪の中へ    加田怜

この「愛の人」は、もちろん神の子イエスの比喩であろう。しかし、それだけではない。たとえば、昨年12月、アフガニスタンで銃弾に倒れたペシャワール会の中村哲さんへの追悼のようにも思えてくる。「誰もがそこへ行かぬから、我々がゆく。誰もしないから、我々がする」という言葉を思い出させる。

 きのふまで人間知らず鯨かな  上村幸三

人類はその生息域を拡大し続けている。月にも住もうというくらいなのだから。海底探査も飛躍的に進んでいる。もはや未開の地などどこにもなく、あらゆるものが人類の管轄のもとにある。鯨という巨大な自然もまた一つの管理対象に成り下がってしまった。鯨のあはれを詠みつつ、人類への批判を含んでいる句である。

 火と風の恋そのままの焚火かな 鈴木一雄

焚火とは火と風の恋である。なるほど、これは発見である。火と風が出会ったときは微かな恋であるが、徐々に燃え上がり、激しくなっていく。しかし終いには、燃え尽きてそのあとだけがのこる。焚火が恋愛劇のようにみえてくる。

 人生は難しみかんは甘くあり  岩﨑ひとみ

人生からみかんへの大転換が面白い。「苦し」ではなく「難し」がいい。人の生き難さと、みかんが甘いのとは、まったく無関係である。ところが、俳句という場所においては、不思議と引き合う力が生じる。

 孫の問ふ爺じは死ぬの冬の蜂  西川東久

孫のいとけなくも非情な問いかけを、作者はどのように受け止めたのだろうか。冬の蜂に、生死一如のおのれの姿が託されている。

 かの国をみてきしごとく返り花 有馬一水

ぽつんと咲いている返り花の、どこか場違いな様子がよくみえる。かの国とは、どこの国か。ぼかしてあるため、いかようにも読める。南の国、夢の国、黄泉の国、もしくは天国かもしれない。ここではない、向こう側へ思いをはせている。

 この世には未練なしとや大根干す 土´谷眞理子

こんな台詞をいえるような人生を送りたいものである。作者もそう思ったに違いない。「大根干す」を取り合わせたところに、日々の暮らしへの信頼を感じる。

 戦争なきこちら側なり布団干  塩月徳子

逆に言えば、布団を干す、その向こう側には戦争があるということだ。布団一枚で守られた平和はいつ壊れてもおかしくない。そして平和とは観念ではなく、この布団が干せるという日々の現実にこそある。

 凩よ今宵の宿は決まりしか   清右エ門

行き場もなく吹き荒む凩に、軽妙に語りかける句である。私は寒がりだから凩と同じ宿には泊まりたくないが、作者は決まっていないなら泊めてやろうというくらいの大きな心でいる。この凩は旅を栖とするもの姿でもあるのだろう。

一月号で巻頭句をとられた渡辺竜樹さんが、二月号のコメントで「仕事と家事で身動きがとれない状況にあることが多い」と書かれていた。他人事とは思えず、そういう状況下で、いかに文学と真剣に向かえるか、考えてもなかなか答えが出ない。

 言語は虚に居て実をおこなふべし。
 実に居て虚にあそぶ事はかたし。

これは、支考の『本朝文選』にある有名な芭蕉の言葉である。「虚」とは、宗教といってもいいし、芸術といってもいい。われわれにとっては文学といっていいだろう。「実」とは、われわれにとっては実生活。まず、生計を営む仕事があり、家事があり、育児や介護もある。

「実に居て虚にあそぶ」には、虚に遊んでいられる実生活がなければならない。そう考えると、昔は貴族、いまは資産家や地主のような金銭的に余裕のあるものでなければ、なかなかできない。庶民には「かたし」ということになる。

しかし、芭蕉は「虚に居て実をおこなうべし」というのである。「虚に居る」とはどういうことをいうのか。また、そこで「実をおこなう」とはどういうことなのか。

「虚に居る」ということは、古典時代の詩人のように隠遁や出家をする、というふうにもとれる。実際、芭蕉は深川へ隠棲した。しかし、現代を生きるわれわれにそれができるだろうか。まして、西行のように家族を捨てられるだろうか。世を捨てられるだろうか。

たとえば、実生活において苦しい状況におかれた自己がいるとする。「実に居て虚にあそぶ」のであれば、実生活の苦しい自己を忘れるために、芸術に、文学に救いを求めるだろう。悪い言い方をすれば、虚の世界に逃げるだけで、実生活は何も変わらない。

芭蕉は、そういう生き方を批判してるのではないだろうか。

また「実に居て虚にあそぶ」ことを反転させて「虚に居て実をおこなふべし」といったのは、実を虚にする、すなわち実生活を文学にせよといっているのではないだろうか。つまり、世を捨てるのではなく、実生活の喜びや悲しみ、苦しみを文学にする。そうすることにおいて、虚に居ることができるということではないだろうか。

関根千方(せきねちかた)
1970年、東京生まれ。 2008年2月、古志入会。 2015年、第十回飴山俳句賞受賞。2017年、句集『白桃』[古志叢書第五十篇](ふらんす堂)。古志同人 。 Twitter: @sekinechikata

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