島に生きる季語と暮らす(33)鰯

 私の子供時代の一九六○(昭和三五)年代頃まで、壱岐では鰯が獲れに獲れた。道に鰯が落ちていても、壱岐の猫は見むきもしないと言われたほどで、鰯は“猫跨(また)ぎ”と別称されていた。当時の島民の感覚としては、鯛や鰤こそが一級品の魚で、鰯など食うに値しない下等な青もの魚。“潰し”にするほかないと蔑まれていた。

 “潰し”とは分かりやすく言えば肥料のことである。畑の隅に大きな穴を掘り、ここに鰯を投棄し、太陽の熱で腐らせ、発酵させる。各人の畑の隅にはどこもこの穴があった。同じように隣に大きな穴を掘った。ここには人間の糞尿を溜めおく。いわゆる肥溜である。同じように太陽の熱で、腐らせ発酵させる。勿論、島民が”田舎香水”と自虐するように、呼吸もままならないような、猛烈な異臭を放つ。だがしばらくすると、二つの穴の表面に瘡蓋(かさぶた)のような蓋が出来、十分な発酵をしたのだろうか臭いも和らぐ。古老の中には、発酵具合を確認するために、この瘡蓋の中に指先を突っ込み、舐める強者もいた。酔っぱらって暗い夜道を歩いていて、この穴へ足を踏み外したなどいう糞尿譚はあまたあるが、割愛する。

 要するに、当時の田畑に撒く肥料として、鰯の潰し、人の糞尿は二大肥料であった。続いて牛馬の糞の堆肥、温床で腐らせた藁や落葉、干した海草など、先人から受け継いだ有機肥料の叡智を展開していたと思われる。硫安など化学肥料が出回るのは、この後、私が小学校高学年になってからである。
 魚扁に「弱い」と書いて「いわし」と読む。読んで字のごとく、鰯はいたみ易い。その兆候は真っ先に眼に出る。私たちは眼を見て鰯の鮮度を確かめた。子供たちは、大人たちから「腐った鰯のような眼玉(めんたま)をするな!」とよく言われた。

 さて、鰯はほとんど食べない旨前言したが、目刺しにはよくした。帰郷して久しぶりに壱岐産の目刺しを食べるとこれが美味だ。また、鰯を開いて砂糖醤油に漬け胡麻を撒いた「桜干し」は、私の好物である。当時、弁当は真ん中に梅干し一つの日の丸が定番だったが、目刺しや桜干しがついておれば極上と言えた。たが、煮つけやその他の料理となると今でも不得手だ。私は生来、御膳に出された物は全部ご馳走。好き嫌い全くなし、甘かろうが辛かろうが、全部完食という人間であるが、鰯だけには、まだ差別意識が残っており、出来れば鰯の、特に煮つけだけは御免被りたいと思っている。

  腹黒き腸からけぶる目刺かな     靖彦

園田靖彦(そのだやすひこ)
1943年 3 月21日、中国、旧南満洲鉄道付属大連病院で生まれる。敗戦により1947年 2 月25日、両親の郷里、壱岐島(現長崎県壱岐市)に引き揚げる。2005年12月『古志』入会。『古志』同人。

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