島に生きる季語と暮らす(24)雪の島

 一九五八(昭和三三)年四月、高校に入学した。すぐに校歌、応援団歌、勝鬨の歌、奮起の歌、各運動部の部歌などを教わった。その中に戦前から愛唱され続けられてきたという旧制壱岐中学の校歌「玄海万里」もあった。「玄海万里波巻きて潮花と散る雪洲の……」と続く。私は「雪洲(せっしゅう)」が壱岐の別称ということはすぐわかったが、なにかそぐわないと思った。なぜならば壱岐には年に一〜二回しか雪は降らない。それも一センチも積もらない。それでも壱岐人は「雪洲」という言葉をよく使う。高校卒業以来五十年間、ずっと気になっていたが、このたび図書館に通い地名辞典をひもどき一つの結論を得た。

 地名辞典には、要約次のようにあった。(1)「古代にはいきの島、ゆきの島と呼ばれた。確かな語源は得られないが、往きの意と解釈されている」『角川地名大辞典』(2)「古事記に伊伎島、万葉集には由吉能之志麻、和名抄に由岐島と書く。坪井九馬三氏は「離島、辺境」を意味する南方のチャム語iku、luikか、「小、少」を意味するサンドイッチ語のikiかだろうという」『地名語源辞典』山中襄太著、校倉書房(3)「或人の説に此の島に雪の白浜と云地ありて、遠方から望めば雪の如く見ゆ、是名の起りと曰へり」『増補大日本地名辞典』吉田東伍著、冨山房。同様な表記が他の辞典にもあった。

 (1)において、私は和語という口語のみで、まだ文字を持たない時代のわれわれの先祖を想う。きっといきのしま、ゆきのしまの両方を使っていたと想う。「い」と「ゆ」は発音上近いので、一つに確定出来ず、口承で伝えていたと想う。

 (2)そこへ中国から文字が伝来する。当時の人は、発音が同じであれば、それぞれ当てはめた。例えば「い」であれば、以、伊、意、移、「ろ」であれば、呂、侶、楼、露、というように。いわゆる万葉仮名である。表記の不統一は当然である。

 (3)大陸への玄関口、唐津、博多へ近い島の東部の海岸は今でも白砂青松が続く。島外の人が最初に壱岐の島に近づこうとしたとき、確かに神々しい雪の白浜に見えたかもしれない。

 私は以前、長谷川櫂先生の「俳句の『白』について」という講演を拝聴したことがある。そこで先生は、俳句において白という色は最も大切な色である。白河、白浜、白山、白峰、白水を例に出し、共通することは、「神が天から降り立つ場所」「白=神聖な場所」と言えないだろうかとおっしゃった。壱岐人が自分の島を改めて「雪洲」と言うとき、霊的な詩的感情があふれているように想うのであるがどうであろう。

  眉に雪のせきし君を迎へ入れ    靖彦

園田靖彦(そのだやすひこ)
1943年 3 月21日、中国、旧南満洲鉄道付属大連病院で生まれる。敗戦により1947年 2 月25日、両親の郷里、壱岐島(現長崎県壱岐市)に引き揚げる。2005年12月『古志』入会。『古志』同人。

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