古志投句欄を読む2021年2月

 ハロウィンも遊び上手の日々のうち 高角みつこ

ハロウィンはそもそのケルトの先祖信仰が起源とされるが、日本のナマハゲをはじめとして固有信仰ともよく似たところがある。いずれも悪霊を追い払う儀式であるだけでなく、子どもが主役になる祭事である。『梁塵秘抄』には〈遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ〉という歌があるが、この句もどことなく子ども心を感じさせる。だが同時に、浮かれた消費社会の大人を自覚したような句ともとれるのが面白い。

 ごばう引く土の命のやはらかし   小林暁子

土に命があるというだけでなく、その命がやわらかいというのだ。牛蒡を引く手のひらに、またその匂いに、土の生命力を感じたのだろう。命は無数にあれどすべて土でつながっているとすれば、一つの命とも言える。牛蒡の長さが土の深さだけでなく、その命の奥深ささへも伝えてくるかのようである。

 木も石もひとよりやさし秋深く   木下まこと

人間よりもよほど木や石のほうがやさしい。そう感じられるようになったというのだろう。マルクスやウェーバーを読んでもわかるが、人間社会はとにかく疲れるようにできている。しかし、人類は石との対話から文明を築いてきたともいえる。日本文化はさらに、木との対話も重要であった。それがいつのまにか、人のみならず木や石までも情報と化す時代になってしまった。

 この国の行方おそろし芋嵐     藤英樹

この句は、たとえば「芋嵐」を現在のポピュリズム政治としてみることもできよう。ポピュリズムは今この国のみならず、世界のいたるところにある。かといって中国やロシアにあるような独裁体制がよいとはまったく思わないが、たしかにポピュリズムに支えられている政治家は、洋の東西を問わず、どこか芋っぽい。

 禿頭を晒せばやさし初時雨     有馬一水

水滴の浮かんだ禿頭の表面が見えてきて、なんともいえない哀愁を感じさせる。しかし、この句にはその哀愁や哀切を上回るほどの俳味がある。さらに、禿頭に翁の面影も重なってみえてくるとしたら「初時雨」は動かない。

 橡餅のかすかな苦みこそ故郷    わたなべかよ

作者にとって故郷とは、誰もがよろんで帰るようなところではなくて、どこかで苦味を感じるような場所なのだ。坂口安吾の「文学のふるさと」を思い起こさせる。

 君のこともつと知りたき林檎かな  玉置陽子

林檎は「禁断の果実」とも言われるので、少しつきすぎの感じもあるが、恋心がよくわかる。この句を読む人によって、あるいは年代によっても、感じ方が違うかもしれない。恋愛は「近代の産物」とも言われ、最近は消滅しつつあるそうだ。しかし、神代から続くこの恋心はなくならない。

 かぐはしき花嫁布団今年綿     菅谷和子
 生も死もこの一枚の布団かな    斉藤真知子

前者は婚姻、後者は生と死の布団である。ならべてみると布団の偉大さに驚かされる。まさか布団がわれわれ自身をとらえる視差になろうとは。強引に俳句にひきつけて考えると、五七五の定型が布団のようなものにも思えてくる。

 聴く耳も度量も大き兎かな     西川遊歩

この兎はどこか菩薩のようであり、小さき神のようでもある。小さきものこそが大きい。小ささを知るものこそ、大きくなれる。そんな古い教えにも似た不思議な感じがする句である。三玉一郎さんの兎の句シリーズも面白かった。

関根千方(せきねちかた)
1970年、東京生まれ。 2008年2月、古志入会。 2015年、第十回飴山俳句賞受賞。2017年、句集『白桃』[古志叢書第五十篇](ふらんす堂)。古志同人 。
Twitter: @sekinechikata
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