島に生きる季語と暮らす(42)蛇

 一九五四(昭和二九)年、私が小学校高学年の頃、草木も眠る丑三つ時――当然ながら人間である我々も眠りこけていた。その我々の枕元に「ドサリ!」と何か重みのある、不吉な音がした。すぐさま飛び起きて明かりを点けてみると、なんと二メートルはあろうかという大蛇が鎌首を持ち上げて横たわっていた。とっさに父は、庭に面した障子戸を開けた。大蛇は父の友情ある機転に感謝するように、それでも身構えながらゆっくりと闇の中へ消えて行った。

 その夜、蛇は鴨居(襖、障子などを立て込むため開口部の上部に渡した溝を付けた横木)の上を這っていたはずであるが、やがて行き止まりになり、私たちの枕元に落下したのだった。その頃、家に棲む蛇は「家蛇」と言い、鼠をとってくれるというので尊重されていた。また仏教の「殺生することなかれ」という教えも生きており、むやみに蛇を殺すことはなかった。蛇も人間の偉大さを知り、人間が近づけばいつも逃げた。彼らに噛まれても毒がほとんどないといわれていた。私たちも蛇に対して親和性をもって接していた。大袈裟にいえば共存共栄の関係であったろう。

 例外が一つあった。それは現地でマムシと呼ばれる蛇であった。体長四〇センチ前後、俗にいう尻尾がない。通常、尾へゆくに従い蛇は細くなるが、末尾がぷつんと切れて寸胴。道に横たわっていると、枯れ木と見間違う。そのうえ、人間が近づいても逃げない。従って人間はよく噛まれる。しかも猛毒を持つ。噛まれて放置していると落命する。今でもマムシに噛まれるとワクチンを打ってもらいに病院へ急ぐ。

 一家が中国・大連から引き揚げてきた直後、栄養受給のため、マムシを殺したことがあった。生の青い松葉を大量に集め、松葉で燻す。半日燻すと、鰹節のようになる。削って味わってみると、匂いが強く、膏濃い。私は食べるのを諦めた。

 私は関東の郊外に住んで五十年がたつ。不思議なことだが、関東では蛇におめにかかったがない。定年直前から十五年間、畑を耕したが蛇は一匹も見なかった。これが九州、壱岐島ともなると蛇だらけ、そこらを歩けば、蛇の歓迎を受ける。

 さて、私はもう一度蛇が枕元に落ちてくる体験をした。既に社会人になっていた。奥尾瀬の山々を登った夜、福島県会津地方の南西部、某村の民宿に泊まった。真夜中、同じように鴨居を這う大蛇がわが枕元に落下したのである。私は父が行ったように、慌てず蛇に退路を設け、難を遁れたのだった。

  おごそかに神の化身の蛇来る    靖彦

園田靖彦(そのだやすひこ)
1943年 3 月21日、中国、旧南満洲鉄道付属大連病院で生まれる。敗戦により1947年 2 月25日、両親の郷里、壱岐島(現長崎県壱岐市)に引き揚げる。2005年12月『古志』入会。『古志』同人。

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