島に生きる季語と暮らす(15)雲丹

 先にも述べた通り「春一番」という季語は、壱岐の漁師言葉だそうだが、元現地人の私には、言い当てて妙という感がする。玄界灘に突如吹き荒れた疾風怒濤がぴたりと止むと、翌日からは蕪村ののたりのたりの春の海となる。女、子どもたちは待っていたとばかりに磯に繰り出す。この頃になると海の色は一段と明るくなり、潮の香りは濃い。きっと母なる海にあまたの命が誕生し、蠢動し始めているからであろう。潮は満潮時の五〜六メートルは引き、磯辺を露呈している。

 まず磯の石や岩に繁茂している黄緑色の石蓴(あおさ)を鮑の殻で掻き取る。この海藻を海苔のように伸ばし乾燥させ、味噌汁の中に入れるとなんとも春の香りがする。その他海草では、海雲(もずく)、搗布(かじめ)、鹿尾菜(ひじき)などを採る。次は蜷(みな)を採る。蜷は筍状をした直径十五ミリくらいの巻貝である。茹でて縫い針の先をセルロイド状の蓋に突き刺し、巻き状に抜き取る。これに醤油をかけて蜷丼にすると美味である。栄螺や鮑、常節(とこぶし)も採るが、この時期まだ早尚、春先の目玉は何と言っても雲丹であろう。

 雲丹採りには準備するものがある。まず採った雲丹を入れる笊、次に小型の出刃包丁、更に二十×三十センチくらいの板片、これは即製の俎板替わりである。左上隅に長釘を軽く打ち付け、更に胴体の真ん中から折って打ち、釘の頭部を板にめり込ませる。即ち左上の隅に釘で作った三角の空間を作る。この三角の空間が後に大きな威力発揮する。四つめは、鉄製の先が曲がった磯鉤。これで雲丹を掻き出す。五つめはスプーン。最後は収穫した雲丹を入れて持ち帰る小鍋である。

 磯辺には大きな石や岩がいくつもある。その下や隙間を覗くと真っ黒い拳サイズの雲丹が並んでいる。興奮して磯鉤で一気に掻き出し、持参の笊に移す。ざっと五十個くらい獲ったところで一式を持って汀に行く。俎板を取り出し、左上の三角の穴に、出刃包丁の先端を突っ込み柄を持ち上げる。刃の下にいま獲ったばかりの雲丹を縦に置き、思い切り刃を下ろす。即ち梃子(てこ)の原理で刃が圧し鎌の働きをし、雲丹が見事に真二つに割れる。割れた両面の雲丹には内臓が黒くぎっしり詰まっている。これを海水で濯ぐと、内臓がすっかり四散。殻の裏には放射状にはりついた黄金の雲丹だけが残る。これをスプーンで掻き出す。これを何度か繰り返すとすぐ小鍋いっぱいになる。持ち帰って粗塩をぶっかっけ雲丹丼にする。

 いま考えると当時雲丹丼を食べたことが贅沢だとは思わない。そこに雲丹しかなかったので食べたという記憶しかない。

  かち割りて殻ごとすする馬糞雲丹     靖彦

園田靖彦(そのだやすひこ)
1943年 3 月21日、中国、旧南満洲鉄道付属大連病院で生まれる。敗戦により1947年 2 月25日、両親の郷里、壱岐島(現長崎県壱岐市)に引き揚げる。2005年12月『古志』入会。『古志』同人。

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