島に生きる季語と暮らす(9)野分

  私は「かつてわれ台風銀座を住処とす」という句を作ったことがある。私の少年時代の一九五○(昭和二十)年代後半、台風は今のように赤道付近で誕生し、洋上を放浪し、やがて北上するが、最後は判で押したように壱岐上空に押し寄せた。そこで壱岐上空は“台風銀座”と呼ばれ、事実よく襲来した。

 翌朝起きてみると屋根瓦が一枚もなかったり、大人三人が両手をつないで輪を作ったサイズの樹木が幹の途中からポキと折れるなどはざらで、その爪痕は残酷だった。

 特に稲穂は大変だった。ようやく穂が垂れ始めたころ、地面に吹き倒され、地を這うように散乱する。これを一旦起こすようにして刈るのは通常の四、五倍の労力を要した。

 壱岐の家は背中に山を背負うように建っている。(地元では「背戸山(せどやま))をからう」と言う)。即ち小山や丘を背中に南面を向いて建ち、南面は防風林が立っているので、一見、家の姿は外からは見えない。台風対策の知恵である。私が小学三年生の時の台風で飛ばされた藁葺きの大きな屋根屋は、江戸時代に建てたであろうという年代物で、大人たちによると、屋根は強風の衝撃を揺れて吸収する珍しい建築構造であったらしいが、その家さえも吹き飛ばされた。また壱岐は日本の歴史の命運を変えた二度の元寇に襲われているが、このとき吹いた大風が「神風」と呼ばれ、苦しいときの神頼みの本尊となるが、気象学的には彼らは台風時に襲来している。

 また私は後年黒澤明監督の映画『姿三四郎』を観ることになるが、その最終シーンで主人公三四郎が宿敵の檜垣源之助と芒が原で決闘をする。ローアングルでとらえた空には、不気味な暗雲と芒を飛ばすほどの強風が次々に押し寄せ、これぞ台風上陸直前の雰囲気と思わせた。あのシーンを観ていて、私は台風独特のなま暖かい、湿気て、甘い空気感を覚えた。

 私は郷里の壱岐を離れて五十年余たつ。上京以来毎朝郷里の天気予報・天気図を確認することを習慣としている。特に台風シーズンともなれば綿密にチェックする。十五年前母を亡くし、今は実家は無人となっているので尚更だ。

 ところが幸いというか、このところわが銀座には屋根瓦を全部吹き飛ばすような大きな台風は押し寄せていない。地球温暖化のためか、地球の気象が一変したようだ。今や台風はコントロールの悪い投手のように見事壱岐島直撃を外してくれている。とはいえ、名にしおう“台風銀座”である。毎年、わが銀座を直撃しそうな台風が五つ以上はあり、私は台風シーズンともなると、はらはらどきどきのし通しである。

  ふるさとを飲み込みさうな野分かな    靖彦

園田靖彦(そのだやすひこ)
1943年 3 月21日、中国、旧南満洲鉄道付属大連病院で生まれる。敗戦により1947年 2 月25日、両親の郷里、壱岐島(現長崎県壱岐市)に引き揚げる。2005年12月『古志』入会。『古志』同人。

Be First to Comment

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。