島に生きる季語と暮らす(7)夏休み

  郷里には壱岐八浦とよばれる町がある。浦とは海が湾曲して陸地に鋭く入り込んだリアス式の入り江、良港のことであるが、郷里では漁師、商業の中心の町をこう呼んでいる。いわば壱岐の繁華街であり、私の子ども時代には、毎日のように、あるいは定期的に市が立っていた。

 壱岐には八浦のほかにも良い入り江がたくさんある。私の実家のある島の西南部、半城(はんせい)湾の奥の奥、御津浜(みつのはま)もそのひとつだ。この浜は海に面した三方が急勾配にせりあがっているので、浜から実家を眺めると急勾配の崖の上に聳え立つように見える。逆に実家から海を眺めると、足元から急勾配に落ちた谷底に海面が見える。夏、耳を澄ますと、子どもたちが海辺で泳いでいる歓声や水の音がかすかに聞こえ、その姿は粟粒ほどに小さく見える。

私は壱岐で高校までを過ごすが、高校に入ったのち、いわゆる思春期になってから、この世には寝付かれない夜、眠れない夜があることを知る。その夜は風が強かった。真っ暗の床のなかで眠れないでいると、突然のようにドドドドピッシャーンという潮騒の音が谷底から聞えてきた。これは私にとって驚くべき大発見であり、それからは毎晩のように潮騒に聞き耳をたてた。そして、潮騒はその夜の風に応じるように届いた。ある夜は、まったく無風であった。今夜はきっと潮騒は聞こえないだろうと床についたところ、和紙の上の埃を刷毛でやさしく祓っているような音が聞こえた。なぜ無風なのに潮騒が聞こえたのか。御津浜は地形的に天に向かって放射状に広がったスピーカーのような形態をしている。谷底の小さな潮騒がスピーカーの音源となり、増幅されてわが耳に届いたのであろう。

 長じて上京してより、これまでに百回前後帰郷しているが、帰郷したときの私の密かな楽しみは、墓参りや親戚回りをして一日を終え、実家の床につき、今夜はどんな潮騒が聞こえてくるだろうかと耳を澄ますときである。初めて聞いたあの日のように間違いなく聞こえてくる潮騒の音を確かめ味わい、私は眠りに落ちる。実は、この御津浜の潮騒の音については。亡き父母や島内に嫁し今も我が家を守ってくれている妹にさえ話したことがない。今度打ち明けてみようと思うが、みんなの周知の事実なのか、私一人が気づいていることなのか、そのとき判るだろう。最近、私は自分の郷愁の源がはっきりしてきた。それは、この世で一番妙なる郷里の浦の潮騒の音と、それを聞きながらつく甘露の眠りにあった。 

   ふるさとの山河は青し洗鯉     靖彦

園田靖彦(そのだやすひこ)
1943年 3 月21日、中国、旧南満洲鉄道付属大連病院で生まれる。敗戦により1947年 2 月25日、両親の郷里、壱岐島(現長崎県壱岐市)に引き揚げる。2005年12月『古志』入会。『古志』同人。

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