島に生きる季語と暮らす(44)新豆腐

 私は、豆腐、厚揚げが好きだ。冷蔵庫に欠かしたことがない。といっても、いま全国的にほぼ均一の質で入手できる豆腐をベストと思っているのではない。私の子供時代、味噌、醤油、豆腐は手作りであった。味噌、醤油は小学三年くらいまでに市販され始めたが、豆腐は中学を卒業する頃まで手作りであった。即ち、豆腐の置かれている状況がいまとは違う。いま豆腐は、極く日常的な食物であるが、当時は、冠婚葬祭、何かといっては祝いで集まる親戚付き合いの膳でしか食べられなかった。豆腐は非日常の、祝祭的なものであった。
 壱岐の豆腐は、固いのが特徴だ。親や先輩からよく「お前みたいなアホは、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」と言われれた。初めてこの台詞を聞いたときは、果たして豆腐の角に頭をぶつけて死ねるものか真剣に考えた。実際子供が箸をもった片手で、二分することが出来ないくらい固い。
 小学生高学年のころ、福岡県小倉市の母方の祖母の妹の家に遊びに行った。この世には瓜二つの人がいるものだというくらい、祖母似のその人は、母が子供時代、いかにかわいかったか、賢かったか、姉妹兄弟が仲良かったかということを話してくれた。思わぬところで母の幼い頃を知ることが出来、心地よかったが、夕飯に出た豆腐に興冷めた。水に何か淡い塊が浮いていた。歯応えがまるでない。これで豆腐? おまけに水道の水が臭く鼻をつく。その時都会生活はまっぴらだと思った。小倉行きの収穫は、壱岐の豆腐は固い、水はおいしいということ知ったことだった。
 なぜ壱岐の豆腐は固いのか。壱岐の土壌で育った真珠の小粒のような大豆豆、絞った芳香を放つ豆乳、玄海灘の海水、豆乳に加える時の微妙な温度によると思われる。更に付け加えると、底、四壁が木製で、それぞれにいくつかの孔があいた豆腐箱があるが、最終的に、この箱に布を敷き、苦汁(海水)と熱のある豆乳を入れ凝固させ、最後に残った布で蓋をして、その上に重りを乗せ、水分を絞って行く。ある程度時間がたつと、重りによって、水分が絞り出される。
 壱岐の豆腐作りは、ここからが違う。一次的に水分を取った豆乳(ほとんど豆腐状態)の上に、更に二次、三次的に、苦汁入りの豆乳を加える。こうすることで密で、濃厚で、固い、よい芳香を放つ新豆腐が出来上がる。
 私はいまでは口にすることが出来なくなった、壱岐手製の固い豆腐を想い、やや味気ない現代の豆腐を食している。

   まほろばの海の滴の新豆腐     靖彦

園田靖彦(そのだやすひこ)
1943年 3 月21日、中国、旧南満洲鉄道付属大連病院で生まれる。敗戦により1947年 2 月25日、両親の郷里、壱岐島(現長崎県壱岐市)に引き揚げる。2005年12月『古志』入会。『古志』同人。

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