古志投句欄を読む 2020年7月号

 霾や人智を嗤ふ風の神       越智淳子

嗤ふという字からすると、これは人智を見下し、あざける笑い。しかし、この字を使うのも読むのもまた人智によることを忘れてはなるまい。疫病にしろ、豪雨にしろ、たしかに人智を超えたところからやってくる。しかし、人智は無力ではない。俳句は「反知性」ではない。文学であり、芸術である。高田春男さんの〈鳥に空人には知恵の泉かな〉という句もあったが、この「知の泉」の底から出てきてこそだと思う。

 エイプリルフール過ぎても嘘ばかり イーブン美奈子

政治家や官僚の答弁から仏の方便まで、嘘には実にさまざまな次元がある。この句は驚きを詠んでいるが、嘘ばかりの世を告発しているようにも、皮肉って面白がっているようにもとれる。あれもこれも、みんな嘘ばかり。この世も嘘なのではないか。

 機嫌やう生きてをります仏生会   喜田りえこ

仏生会は釈迦の誕生を祝う行事。この句は、釈迦誕生の時の言葉「天上天下唯我独尊」に対する返答だろう。もちろん人生は苦しみの連続である。それでも、その生はそれぞれ取り替えのきかない尊いものである。おおらかな口語の向こうに揺るがない信念のようなものを感じる。

 猫の子を捨てて泣いた日崖の道   西川遊歩

捨て猫を拾って帰ったら、うちでは飼えないから返してきなさいと言われたのだろう。再び同じ場所に仔猫を捨てにいった日。平らな道が傾くほど、世界がぐらぐらしはじめたのではなかろうか。猫を捨てるべからずでは句にはならない。

 猫の子に見えて私に見えぬもの   金澤道子

人間が見ている世界と猫が見ている世界は同じではない。生物はそれぞれがもつ知覚によって構成された世界の中にいる。これはユクスキュルが「環世界」という言葉で説明している。しかし、猫には何が見えているのだろうかとついつい想像してしまうのが人間でもある。

 浅利桶鳴いて八方水びたし     冨田ゆきこ

アサリは塩水につけて砂抜きをする。たしかに耳を澄ますと、アサリからキューという音が聞こえることがある。翌朝見ると、桶のまわりが水びたし。アサリが威勢よく水を吐いていたのだろう。夜通し、アサリの大合唱が続いていたかのかもしれないし、救いを求める阿鼻叫喚の声であったのかもしれない。

 接木師や空睨みつつ煙吐く     長野いづみ

接木師には、接木された木の枝が空に伸びゆく様が見えているのだろう。接木は、強い幹を作りなんとか多くの樹果を得る、そのための改良技術である。それでも、風や水になぎ倒されることもあるに違いない。睨みつつ煙を吐くという仕草に、弱くも強い人の姿が見える。

 百過ぎて馬鹿に気付けり山笑ふ   細谷寛

ソクラテスの「無知の知」は、無知に気づくということだ。無知と馬鹿とではニュアンスが違うが、はじめから知を捨てていたら無知にも馬鹿にも気づかない。本当に生きた無知に気づける人がどれだけいることだろうか。百歳まで生きてみろといっているようでもある。

今月号は一茶特集であった。寄稿、インタビュー、鑑賞、どれも読み応えがあった。なかでも、俳文学者の矢羽勝幸先生による寄稿「時代を超えた一茶」に書かれていた次の箇所は、私が3月号の「古志投句欄を読む」で「虚に居て実を行う」という芭蕉の言葉について考えたことと近接していて驚いた。

《「風雅」すなはち俳諧は、少数の高踏的俳人の遊興(おあそび)ではなく、一般庶民が現実生活の中で生ずる苦楽の感情を詩化するものだといっている。現実のわずらわしさを放棄せず、現実を積極的に詩にしてゆく。これが一茶流の俳句であった。》

考えてみれば、これは近代の始まりにふさわしい態度であるし、いまなお有効な流儀ではないかと思う。しかし、今の俳句はどうだろうか。いや、それは俳句だけの話ではない。文学そのものが、ほとんど「おあそび」の領域に落ち込んでいるようにすら思える。

たしかに、柄谷行人は『近代文学の終り』でこう語っていた。

《文学の地位が高くなることと、文学が道徳的課題を背負うこととは同じことだからです。その課題から解放されて自由になったら、文学はただの娯楽になるのです。(略)それと同時に、近代文学を作った小説という形式は、歴史的なものであって、すでにその役割を果たし尽くしたと思っているのです。》

この近代における小説の役割について、ここで触れるわけにはいかないが、近代文学が小説を軸に形成されていく中で、俳句は傍に置かれてきたし、地位は低いままであった。文学が遊戯化する現在にあって、同じように遊戯化しているのであったら、俳句は終りどころか、そもそも始まってもいなかったということになる。そんな話でいいわけがない。

むしろ、近代の終焉と同時に、俳句は日本近代文学における「抑圧されたもの」として回帰してこなければならないのだ。

そう考えたとき、一茶が積極的に被差別民や山窩と関わり、それをテーマとして創作を行ったという話は刺激的である。一茶にとって、差別の問題は過去(古典)の話ではない。現在の問題である。

現在、差別問題であろうと、他の社会問題であろうと、一茶のように積極的に関わる作家は少ない。いわんや俳人においてをや。

世界をみれば、5月にミネアポリスで白人警官に黒人男性が殺される事件が起こり、瞬く間にBLM(Black Lives Matter)という抗議運動が世界に広がった。また、6月末には香港で中国が新しい国家安全維持法が導入され、抗議する市民が拘束され、武力により民主化運動組織が解体させられた。もちろん国内にも様々な差別や人権の問題、社会問題が存在している。

また数々の大災害が毎年、各地で起きている。そこから発生するのは、気象学や地質学で扱うような自然の問題ではなく、そこに生きる個と社会の問題であるはずだ。

いずれにしても、自意識に閉じこもって苦悩してみたり、寂しそうにしてみたりするのが文学ではない。それは、矢羽勝幸先生の言葉で言えば「おあそび」である。われわれが一茶に習うべきなのは、現在と積極的に関わる姿勢なのではないだろうか。

関根千方(せきねちかた)
1970年、東京生まれ。 2008年2月、古志入会。 2015年、第十回飴山俳句賞受賞。2017年、句集『白桃』[古志叢書第五十篇](ふらんす堂)。古志同人 。
Twitter: @sekinechikata

One Comment

  1. 越智淳子 said:

    ご批評ありがとうございます。初めに上げられた私の句の「人智」は、端的に「文明」を意味します。人智の結集である、例えば大規模土木建築、原子力発電、遺伝子操作医療、宇宙開発等々、こうした文明は、産業革命以後、そして電気さらにAIの登場で加速して進んでいます。例えば江戸時代の人々の暮らしは、天平時代と比べて進歩したとはいえ、エネルギーは木材が主流、労働には牛馬の助けを借りると本質的に千年以上変わっていませんでした。昔の人々は、ゴビ砂漠の黄砂が日本まで届くと、現代人のようには知らなくても、「霾る」によって、春の現象と認識していたことに新鮮に驚きました。たとえ、江戸時代の人々が俵屋宗達の「風神雷神図屏風」のように大風を認識していたとしても(科学的には無知としても)、その認識の姿勢―恐れと尊崇の念を抱いていた姿勢は、ある意味、正鵠を得ていたのではないか…という感慨がこの句の背景にあります。彼らは想像力を持ち、考えていたのだと思います。句には反知性の意味する考えは全くありません。

    2020年8月15日
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